<クラシック音楽の歴史について>

音楽は以下の歴史をたどって作られた

<紀元前6世紀>
ギリシャ/ピタゴラス 音階を作る


<6世紀>
ローマ帝国全盛 グレゴリア聖歌(カトリック教会で歌う)が出来る
カール大帝が広める


<15世紀>
ルターによる宗教改革 ・ラテン語をドイツ語に翻訳して、讃美歌(市民の歌)として広まる
・活版印刷で楽譜を作り広める


<17世紀>
・イタリアでオペラが生まれる
・ルイ14世がフランス版のオペラを作らせる


<バロック音楽(絶対王政時代)>
・讃美歌からオペラ主流となる
・聖職者向けの音楽から貴族向けの音楽が作られるようになる
@ヘンデル・・・貴族相手にオペラを作り金儲けする
Aバッハ・・・宗教音楽を作る(音楽の父)(1000曲以上作る)


<古典派音楽(フランス革命、アメリカ独立)>
・オペラの脇役だった音楽が独立し、交響曲として演奏される
@ハイドン(交響曲の父)
Aモーツァルト(幼くして曲を作る天才少年)
Bベートーベン(難聴に苦しみながらも作曲)


<ロマン派音楽(資本主義時代)>
・貴族向け音楽から市民向け音楽に代わる
@シューベルト
Aワーグナー
Bブラームス
Cチャイコスキー
Dマーラー
Eドビュッシー

その重要なクラシック音楽の歴史を「バロック音楽」「古典派音楽」「ロマン派音楽」「国民楽派音楽」「近・現代音楽」に
分けて簡単にまとめてみました。
歴史を知っているとクラシック音楽を聴く際に、その情景まで想像し、音に入り込めますね。


1600〜1750年、バロック音楽
(日本:徳川家康が江戸幕府を開く(1603)、海外:イギリス名誉革命(1688)、ヨーロッパでは領土戦争が至る所で)
作曲家 詳細 代表作
J.S.バッハ
(ヨハン・セバスティアン・バッハ)

年:1685〜1750
国:ドイツ
 

ドイツ
・1700年までの作曲法や奏法を整理整頓し、古典派音楽、ロマン派音楽を基礎となった「音楽の父」。
(たくさんのメロディを同時に重ねる技法「対位法」という作曲の技法を完成し、以後モーツァルトやベートーヴェンなど多くの作曲家が勉強した)
(バロック時代以降はひとつのメロディを複数の音(和音)で響かせる技法「和声法」が主流となる)
・ゴールトベルク変奏曲はカノンの代表作
・宮廷音楽家として活動し、王や教会に仕え、生涯書いた作品数は1000を超える
・兄の楽譜をこっそり月明かりの元で書き写し勉強した「月光写譜」 ・子供は20人とドイツの大音楽家一族
・死後80年が経ってメンデルゾーンがバッハの「マタイ受難曲」を演奏して有名になった ・C.PE.バッハ(カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ)はバッハの次男
・シンフォニア集(交響曲の前進)を作ったJ.C.バッハ(ヨハン・クリスティアン・バッハ)はバッハの末子
・カンタータ第147番「主よ人の望みの喜びよ」
・オルガン曲「トッカータとフーガ」
・マタイ受難曲
・G線上のアリア(G線のみで演奏できる)
・メヌエット ト長調
・羊は安らかに草を食み
・ブランデンブルク協奏曲
・チェンバロ協奏曲
・管弦楽組曲
・フルート・ソナタ
・平均律クラヴィ−ア曲集
・無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ
・インベンション
・音楽の捧げもの
ヘンデル
(ゲオル・フリードリヒ・ヘンデル)

年:1685〜1759
国:ドイツ→イギリス

ドイツ
・オペラやオラトリオ(キリストの生涯を題材にした歌:聖譚曲)やオーケストラで有名
・バッハとは対照的で実業家として成功
(入場料を払う形式をとって市民向けコンサートを開いたものヘンデルが初めて)
・ドイツからイギリスに渡ったクラシック史上初の国際音楽家
・国王の舟遊びの際に演奏するために「水上の音楽」が出来た
・株式投資した作曲家で新ロイヤル音楽アカデミーを作るが貴族オペラと争いになり、
一時負債を抱えるがメサイアが売れて持ち直した。
・宗教曲「ハレルヤ・コーラス」の「メサイア」は教会でよく歌われ有名
(イタリア語では売れなくなってきたので英語で書いたことで中流階級に広まった)
・宗教曲「見よ、勇者は帰る」は運動会の表彰式の曲
・組曲「水上の音楽」
・王宮の花火の音楽
・歌劇「セルセ」
ヴィヴァルディ
(アントニオ・ヴィヴァルディ)

年:1678〜1741
国:イタリア

イタリア
・養育院の音楽牧師から興行師になった司祭
・「赤毛の司祭」と呼ばれたイタリアのバロック時代の協奏曲ジャンルの巨匠
・バッハにも影響を与えた
・歌劇や協奏曲など600曲以上も作曲
・ヴァイオリン協奏曲集1〜4番「四季」
・宗教音楽「ウローリア」
・合奏曲奏曲集「調和の霊感」


1750〜1830年、古典派音楽
(日本:江戸時代、海外:アメリカ独立宣言(1766)、フランス革命(1789))
作曲家 詳細 代表作
サリエリ
(アントニオ・サリエリ)

年:1750〜1825
国:イタリア

イタリア
・ウィーン宮廷楽長36年務める
・オペラはヨーロッパ中で人気を博した
・ベートーベンやシューベルトを教えて名教師
・映画「アマデウス」でモーツァルトのライバルとして登場
(モーツァルトの才能に嫉妬して毒殺を企てたという説があるが、実際は違う)

ハイドン
(フランツ・ヨーゼフ・ハイドン)

年:1732〜1809
国:オーストリア

オーストリア
・100を超える交響曲を作った
・宮廷で30年間 音楽を教えた
・音楽史上とても重要なウィーン古典派音楽の巨匠
・24歳下のモーツァルトとは親友 ・交響曲第45番「告別」は長期の音楽活動を強いられて演奏者の気持ちを曲にしたもので
演奏者が1人ずつ退室する演出も曲の中で行われた
・トランペット協奏曲
・オラトリオ「天地創造」
・交響曲第45番「告別」
・交響曲第88番「V字」
・交響曲第94番「驚愕」
・交響曲第101番「時計」
・弦楽四重奏曲第77「皇帝」
モーツァルト
(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト)

年:1756〜1791
国:オーストリア

オーストリア
・ナポレオンの勢力が強くなり、それを避けるように人生の1/3をヨーロッパ各国を巡った
・父から音楽を教わり、5歳で作曲を始めた「神童」
・1度聴いた曲を引くことが出来、また楽譜に書き下ろすことができた
・ハイドンと友好があり、交響曲短調 第25番小ト短調と40番大ト短調を作った
・女癖が悪い上、曲の依頼主が居なくなってからは借金も抱えるようになった
・弦楽四重奏曲「不協和音」
・交響曲第40番
・オペラ「フィガロの結婚」
・オペラ「魔笛」(モーツアルトが最後に書いたオペラ)
・セレナード「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
・ピアノソナタ イ短調「トルコ行進曲付き」
・「レクイエム」
・ディベルティメント第17番 ニ長調
・クラリネット協奏曲
・フルートとハープのための協奏曲 ハ長調
・キラキラ星変奏曲「ああ、ママにいうわ」による12の変奏曲
ベートーヴェン
(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)

年:1770〜1827
国:ドイツ→オーストリア

ドイツ
・貧しい家庭で育ちながらも「楽聖」と崇めらた不滅の音楽家
・ウィーンに出て、ハイドンに学ぶが、モーツァルトには弟子入りできなかった
・詩人シラーや哲学者カントの影響を受けた
・20代後半で耳が悪くなり、ハイリゲンシュタットの遺書後、40歳頃に聴覚を失いながらも「運命」を作曲
・ピアノソナタは音楽の形式を確立したため、新約聖書と言われている
(ちなみに音楽の旧約聖書は平均律の形式をとったバッハになる)
(ピアノ 3大ソナタ「悲愴」「月光」「熱情」)
・交響曲は9曲しか作らなかったが、新しい楽器を加え、練りに練った曲に仕上げたことで交響曲の地位を上げた
・ピアノソナタ第8番「悲愴」
・ピアノソナタ第14番「月光」
・ピアノソナタ第23番「熱情」
・ヴァイオリンソナタ第5番「春」
・交響曲第3番「英雄」
・交響曲第5番「運命」
・交響曲第9番「合唱」(日本の年末によく聴く)
・弦楽四重奏曲第7〜9「ラズモスキ」
・弦楽四重奏曲「大フーガ」
・ピアノ曲「エリーゼのために」
パガニーニ
(ニコロ・パガニーニ)

年:1782〜1840
国:イタリア

イタリア
・ヴァイオリンの鬼神
(映画「パガニーニ」はその鬼神ぶりが表現されている)
・難曲の数々を作曲
・無伴奏ヴァイオリン独奏曲「24の奇想曲」
・ヴァイオリン協奏曲第1番
・ヴァイオリン協奏曲第2番


1810〜1910年、ロマン派音楽
(日本:江戸-明治時代、海外:ナポレオンがフランス皇帝即位(1804)、イタリア王国成立(1861)、ドイツ統一(1871))
作曲家 詳細 代表作
ツェルニー
(カール・ツェルニー)

年:1791〜1857
国:ボヘミア→オーストリア
 

ボヘミア
・ベートーヴェンの愛弟子
・ピアノ教則本を作った
・リストの教師

・30番の練習曲(技法の練習曲)
・40番の練習曲(熟練の手引き)
・50番の練習曲(指使いの手引き)
・60番の練習曲(ヴィルトゥオーゾ=達人のための練習曲)
・リトルピアニスト
シューベルト
(フランツ・ペーター・シューベルト)

年:1797〜1828
国:オーストリア
 

オーストリア
・ベートーヴェンを崇拝し、600を超すリート(ドイツ歌曲)を作ったウィーン古典派最後の重要作曲家
(ベートーベンの墓の隣に自分の墓を作った)
・歌曲「野ばら」と「魔王」を18歳で作った天才 ・ウィーンの上級階級を中心とした演奏会を多く行った
・ゲーテの作品から「魔王」が生まれたが、ゲーテはシューベルトの「魔王」を認めなかった
・交響曲第7番「未完成」
・子守歌
・野ばら
・魔王(魔王、父親、息子、語り手の4役を1人で歌う大変な歌曲)
・ピアノ五重奏曲「鱒」
・アヴェマリア
(反乱軍に父ダグラスを持つエレン(湖上の美人)が国王軍の追ってから 洞窟に身を隠した際に聖母マリアに祈った歌)
ウェーバー
(カール・マリア・フォン・ウェーバー)

年:1786〜1826
国:ドイツ

ドイツ
・ドイツのロマン派オペラの創始者
・父の劇団とともに各地を放浪して得たオペラ体験
・モーツァルトやベートーヴェンらの古典派からワーグナーらのロマン派へ至る橋渡し的な作曲家
・オペラ「魔弾の射手」
・舞踏への勧誘
・オペラ「オベロン」
・狩人の合唱
ロッシーニ
(ジョアッキーノ・ロッシーニ)

年:1792〜1868
国:イタリア

イタリア
・イタリアから登場した最初の天才オペラ作曲家
・イタリアやフランスは娯楽音楽、ドイツは芸術音楽という対立がある中、ベートーベン(ドイツ)がオペラ「セビリャの理髪師」を絶賛
・フランス国王へ「ランスの旅」を提供して終身年金をもらい、音楽を引退して美食家となった
(フォアグラ、トリフ、デミグラスソースを使う料理はロッシーニ風と言われ、ロッシーニが考案した)
・自分の曲を転用して新たな曲を作った怠け者と言われている
・オペラ「セビリャの理髪師」(序曲)
・オペラ「ランスの旅」(序曲)
・オペラ「ウィリアム・テル」(序曲)
メンデルスゾーン
(フェリックス・メンデルスゾーン)

年:1809〜1847
国:ドイツ

ドイツ
・モーツァルトの再来と呼ばれた天才音楽家
・バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの曲を演奏して世間に広めた
(バッハの「マタイ受難曲」でバッハが再認識された)
・裕福な良家の息子そのものの作風
・哲学者ヘーゲルやゲーテと親交があった
・カデンツアは即興だが、メンデルは全体の構成を崩さないため即興部分も曲を記した
・交響曲第3番「スコットランド」
・交響曲第4番「イタリア」
・ピアノ曲「春の歌」
・ヴァイオリン協奏曲
・劇音楽「真夏の世の夢」
(12曲から構成され、その内の結婚式に使われる「タタタ・ターン」の「結婚行進曲」は有名)
ベルリオーズ
(エクトール・ベルリオーズ)

年:1803〜1869
国:フランス

フランス
・音楽を学び始めたのは19歳頃とかなり遅い(パリ音楽院)
・ピアノが弾けないため、作曲はギターで行っていた
・風景や感情などを音で描写した「標題音楽」の創始者でフランスの革命的作曲家
(今までは音楽そのものを表現する「絶対音楽」、タイトルが無く単に交響曲第何番、作品第何番といった感じ)
(リストは交響詩、ワーグナーは楽劇として影響を受けた) ・交響曲で物語を紡いだオーケストラの達人
・幻想交響曲を気に入ったリストがピアノ曲を作った
・幻想交響曲(自分の失恋の曲)
・劇的物語「ファウストの劫罰」(ハンガリー行進曲)
・序曲「ローマの謝肉祭」
シューマン
(ロベルト・シューマン)

年:1810〜1856
国:ドイツ
 

ドイツ
・父を早くに亡くし、安定した収入を得られるよう母の勧めで法律を学ぶものの音楽を諦められず、遅れを取り戻すためにピアノを猛練習して指を炒め、ピアニストとしての夢を諦め作曲家への道を進んだ
(リストやパガニーニなどのヴィルトゥオーゾ(超絶技巧の演奏家)として評価されて焦りがあった)
・妻のクララ・シューマンは、女流コンサート・ピアニスト
・現ピアニストアルゲリッチも良く弾いたピアノ曲
・シューマンは自分の作った曲の中で難しくて自分では弾けない曲があった
・交響曲第1番「春」
・ピアノ曲「子供の情景」
・歌曲「流浪の民」
・ピアノ曲「トロイメライ(夢)」

ブルックナー
(アントン・ブルックナー)

年:1824〜1896
国:オ―ストリア

オーストリア
・30歳を過ぎてから本格的な音楽を学ぶ遅咲きの音楽家 ・教会のオルガン演奏者として長く活躍
(早く父を亡くし、聖フローリアン修道院へ合唱児童として養ってもらうため預けられる)
(リンツ大聖堂 専属オルガニスト)
・サリエリの弟子/ジーモンビヒターから宗教音楽を教わり作曲家として花を咲く ・オットーキツラーからワルツやマーチなど世俗的音楽を学ぶ ・ベートーベンの交響曲第5番(ハ短調)と第9番(ニ短調)を曲を好み、同様に作るがニ短調は公表しなかったので交響曲第0番となった ・演奏を途中で止め曲の場面転換を表現した「休止」も取り入れたことで有名
・交響曲第4番「ロマンテック」
・交響曲第8番
・交響曲第9番
ワーグナー
(リヒャルト・ワーグナー)

年:1813〜1883
国:オーストリア

オーストリア
・脚本、音楽、演出、大道具、劇場建築など1人で指示し総合プロデユーサの仕事をした
・反ユダヤ主義だったため、好まない人もいた
・オペラ「ニーベルングの指輪」は15時間にも及ぶ大作、オペの巨匠
・映画「地獄の黙示録」に使われた「ワルキューレの騎行」
・結婚式に使われる「結婚行進曲」は有名
・オペラ「さまよえるオランダ」
・オペラ「タンホイザー」
・ハンガリー狂詩曲
シュトラウス二世
(ヨハン・シュトラウス二世)

年:1825〜1899
国:オーストリア

オーストリア
・父/ヨハンも作曲家で区別するために2世と
(父も音楽家ではあるが息子の才能を妬んで、父が息子の音楽活動の邪魔をしていた)
(親子で別々の音楽団を持っていたが、父死後は統一され、オーストリアを代表するまでになった)
・バイオリンを演奏しながら指揮をした
・ウィーンのワルツ王
・元旦のウィーン楽友協会「黄金の間」ではシュトラウス1世、2世、ヨーゼフ、エドゥアルトの曲を中心に演奏され、日本で放送されている
(1938年ナチス・ドイツに併合されていたウィーンでしたが、沈んだ国民の気持ちを盛り上げようと1939年に初のニューイヤーコンサートが開かれ、人気あったヨハン・シュトラウス二世の曲が演奏された
(拍手で演奏が聴こえないため曲が中断し、新年の挨拶が行われるのも定番)
・ワルツ「ウィーンの森の物語」
・ワルツ「美しく青きドナウ」
・オペレッタ「コウモリ」
(小さなオペラの意)
ブラームス
(ヨハネス・ブラームス)

年:1833〜1897
国:ドイツ

ドイツ
・貧しい家庭で育ち、バーなどで演奏者として、音楽でお金を稼いでいた ・シューマン夫妻に評されたドイツの後期ロマン派の大作曲家
・ベートーヴェンを尊敬し20年の歳月をかけて交響曲第1番を完成した完璧主義者
(ベートーヴェンの10番の交響曲のようだと言わしめた)
・バッハ、ベートーヴィン、ブラームスをドイツの「3大B(B:名前の頭文字)」と呼ぶ
・蓄音機で初めて音楽を録音した音楽家
・ブラームスは音楽そのものを表現する音楽「絶対音楽」
(音楽以外のものを表演する音楽「表題音楽」)
・ハンガリー舞曲第5番
・交響曲第1番
・交響曲第4番
・ヴァイオリン協奏曲
(世界三大ヴァイオリン協奏曲ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームス)
・ピアノ協奏曲第1番
・大学祝典序曲
ショパン
(フレデリック・フランソワ・ショパン)

年:1810〜1849
国:ポーランド

ポーランド
・パリ社交界の大スターになるほどピアニストとして名をはせる
・交際、破局を数々繰り返して名曲を残した
(リストとは異なり、1人の女性に対して曲を作ることが多かった)
・「エチュード(革命)」はポーランドがロシア軍に攻め落とらされたのを知って書いた怒りと苦しみの曲
・ピアノ協奏曲第2番の練習曲「ノクターン第20番」
・ピアノ協奏曲第1番
・アンデンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ(ポーランド風という意味)
・ピアノソナタ第2番「葬送」
・ピアノ曲「子犬のワルツ」
・ポロネーズ第3番「軍隊」
・練習曲「別れの曲」
・練習曲「エチュード(革命)」
・「幻想即興曲」(ベートーベン「月光」に似ている)
ヴェルディ
(ジュゼッペ・ヴェルディ)

年:1813〜1901
国:イタリア

イタリア
・1800年後半のイタリア最大のオペラ作曲家
・イタリア統一運動のシンボルともなった
・オペラ「アイーダ」(凱旋行進曲)は現代のサッカーの応援歌として用いられている
・オペラ「アイーダ」(凱旋行進曲)
・オペラ「椿姫」(乾杯の歌)
・オペラ「リゴレット」(女心の歌)
・オペラ「ファルスタッフ」
リスト
(フランツ・リスト)

年:1811〜1886
国:ハンガリー

ハンガリー
・15歳で父を亡くし、ピアノ教師で生計を立て、その後社交界でモテはやされたピアニスト
・演奏中にピアノの弦が切れたりハンマーが壊れたりして、常に3台ピアノが用意されたほど
(オーストリアのベーゼンドルファー社製のピアノはそれに耐えて有名になった
・演奏者が自由に即興的な演奏をするカデンツァを良く行った
・ツェニーからピアノの演奏技術を学ぶ
・アリエリから音楽理論を学ぶ
・現在のリサイタル(独奏会)を形作ったのはリスト
(それまでは複数の演奏者が代わる代わる弾いていた)
(自分の書いた曲以外も演奏するようになったのもリストが初めて)
・詩と音楽の結合を目指し、新しいジャンル「交響詩」を創始した
・若い頃はヨーロッパ各国で演奏家として巡り、その後宮廷音楽家になり、最後には聖職者に転職
・スメタナ、メルデンゾーン、ワーグナー、ショパンと交友があった
・パガニーニのバイオリン演奏技術を聴き、自分はピアノのパガニーニになると決意し 「パガニーニによる超絶技巧練習集」「パガニーニによる大練習曲」を作った
・リストの弟子のシロティがラフマリノフを教えた
・交響詩「レ・プレリュード」
・ピアノ協奏曲第1番
・ピアノ曲「愛の夢」
・ハンガリー狂詩曲
・「ラ・カンパネッラ(鐘)」
サーンス
(カミュ―ユ・サン・サーンス)

年:1835〜1921
国:フランス

フランス
・モーツァルトに比肩する天才的音楽家、3歳で作曲した神童
・ほとんど全てのジャンルの作品を書いた
・詩人、天文学者、数学者、画家としても一流
・リストが絶賛したオルガニスト
・1800年代のフランス舞曲形式を蘇らせた
・交響詩「死の舞踏」
・組曲「動物の謝肉祭」
・ヴァイオリン協奏曲第3番
・チェロ独奏曲「白鳥」
(低音の弦楽器の音で瀕死の白鳥を表現)


1860〜1900年初頭年、国民楽派音楽
(日本:明治-大正時代、海外:エジソンが蓄音機を発明、第1次世界大戦(1914-1918)、ロシア革命(1917))
作曲家 詳細 代表作
ムソルグスキー
(モデスト・ムソルグスキー)

年:1839〜1881
国:ロシア
 

ロシア
・西欧から遅れをとっていたロシア音楽を育てようとした「ロシアの5人組(ムソルグスキー、バラキレフ、キュイ、ボロディン、コルサコフ)」の1人。
・ロシアの史実や生活を音楽で表現
・交響詩「はげ山の一夜」
・ピアノ組曲「展覧会の絵」
・オペラ「ボリス・ゴドゥノフ」
チャイコフスキー
(ピョートル・チャイコフスキー)

年:1840〜1893
国:ロシア

ロシア
・家計を助けるため法律を学んで法務省に勤めながら音楽を勉強したが、ニコライなどの音楽仲間の支援により一時休職して学業音楽に専念する
・ロシアが生んだ最高の作曲家
・バレエ音楽と交響曲に才能発揮し、指揮者としても成功をおさめる
・交響曲第5番 ・ピアノ協奏曲第1番
・ヴァイオリン協奏曲
・バレエ組曲「くるみ割り人形」
・バレエ組曲新「白鳥の湖」
・バレエ組曲「眠れる森の美女」
・スラブ行進曲
コルサコフ
(ニコライ・リムスキー・コルサコフ)

年:1844〜1908
国:ロシア

ロシア
・「ロシアの5人組」で管弦楽法の達人
・「千夜一夜物語」
・交響組曲「シェエラザード」
スメタナ
(ベドルジハ・スメタナ)

年:1824〜1884
国:チェコ

チェコ
・初めてチェコの個性を表現した曲を作った
(チェコは当時オーストリアの一部だった)
・ベートーベンと同様に聴覚を失いながらも作曲し、交響曲「わが祖国」を作った
・交響曲「わが祖国」「モルダウ」
・弦楽四重奏曲第1番「我が生涯より」
・オペラ「売られた花嫁」
ドヴォルザーク
(アントニーン・ドヴォルザーク)

年:1841〜1904
国:チェコ

チェコ
・貧しい肉屋で育ちながらも、ドイツ語の教師が音楽家だったので、当時音楽でお金を稼げるオリガニストになった
・貧しい音楽家を支援する機構に助けられ、音楽を続けられることが出来た
・ヴィオラ奏者にもなる
・音楽の恩人ブラームスと友好
・スメタナやヤナーチェクと共にチェコの国民的作曲家
・アメリカに招かれニューヨークの音楽教師となる
(黒人霊歌と出会いで作曲された「新世界」はベートーベン「第九」、シューベルト「未完成」と並ぶ三大交響曲と言われている
・交響曲第9番「新世界より」
・管弦楽曲「スラブ舞曲集」
・弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」
グリーグ
(エドヴァルド・グリーグ)

年:1843〜1907
国:ノルウェー

ノルウェー
・「北欧のショパン」と呼ばれたノルウェーの作曲家
・劇音楽「ペール・ギュトン」
プッチーニ
(ジャコモ・プッチーニ)

年:1858〜1924
国:イタリア

イタリア
・ヴェルディのオペラ「アイーダ」に感動してオペラを目指したイタリアオペラ巨匠
・フィギアスケーター/荒川静香選手がオリンピックで金メダルをとったオペラ「トゥ−ランドット」が有名
・オペラ「蝶々夫人」(ある晴れた日に)
・オペラ「ラ・ボエール」(私の名はミミ)
・オペラ「トスカ」(歌に生き、恋に生き)
・オペラ「トゥ−ランドッド」(誰も寝てはならぬ)
・オペラ「ジャンニ・スキッキ」(私のお父さん)
シベリウス
(ジャン・シベリウス)

年:1865〜1957
国:フィンランド

フィンランド
・フィンランドの風土を音楽で表現した北欧の巨匠
・交響曲「フィンランディア」
・交響曲第1番
・管弦楽組曲「カレリア」


1800年末〜1900以降 近・現代音楽
(日本:明治-昭和時代、海外:ナチス政権成立(ドイツ1933)、第2次世界大戦(1939-1945)、国際連合発足(1945))
作曲家 詳細 代表作
フォーレ
(ガブリエル・フォーレ)

年:1845〜1924
国:フランス
 

フランス
・ドビュシーを育てた楽壇の重鎮
・「夢のあとに」
・「レクイエム」
・「シチリアーノ」
ドビュシー
(クロード・ドビュシー)

年:1862〜1918
国:フランス
 

フランス
・フランスの絵画や文学の影響を受けて、印象主義音楽を打ち立てた天才。
(今までは構造的・理論的な音楽でしたが、その常識に囚われない感性のままの音楽/ポップ、ジャズ、ミニマル・ミュージックなどの現代に影響を与えた)
・「孤高の創造」と呼ばれていた。
・交響詩「海」のスコアの表紙に葛飾北斎の浮世絵を使用された。
・交響詩「海」
・ピアノ曲「亜麻色の髪の乙女」
・「牧神の午後への前奏曲」 ・「月の光」
・2つのアラベスク
・夢想
ラヴェル
(モーリス・ラヴェル)

年:1875〜1937
国:フランス
 

フランス
・「管弦楽の魔術師」と呼ばれていた
・同じ旋律が繰り返されながら10分以上続く名曲「ボレオ」
・左手のためのピアノ協奏曲
・バレエ組曲「ボレロ」
・スペイン狂詩曲
・夜のガスパール
・バレエ組曲「ダフタニとクロエ」
マーラー
(グスタフ・マーラー)

年:1860〜1911
国:オーストリア
 

オーストリア
・若いころは大作交響曲を作曲
(交響曲の主題、調性、規模、声楽などの概念を拡張した)
・指揮者としても優れていた
(ベルリンフィルハーモニーとウィーンフィルハーモニーの指揮者をしていた)
・アメリカでも活躍
・交響曲第1番「巨人」
・交響曲第8番「千人の交響曲」
・「さすらう若人の歌」
シュトラウス
(リヒャルト・シュトラウス)

年:1864〜1949
国:ドイツ
 

ドイツ
・ドイツのロマン派音楽を締めくくった巨匠名作家。
・ワーグナーやリストの正統的後継者
・「ツァラトゥストラはかく語りき」が代表作
ラフマニノフ
(セルゲイ・ラフマニノフ)

年:1873〜1943
国:ロシア
 

ロシア
・チャイコフスキーの後継者とも言えるロマン主義の作曲家。
・ドビュッシーの印象主義やツェーンベルクの表現主義が主流でロマン派からの脱却が流行っていたため ラフマニノフのロマン派音楽は遅れたらロマン派とされた ・ピアノ協奏曲第2番はソチオリンピック・浅田真央選手が利用した曲 ・前奏曲ト短調 ・身長は2mmと大きく、親指から小指まで約28cmもあり、それを生かして超絶技巧の演奏を行ったピアノの達人
・ピアノ協奏曲第2番
・ピアノ協奏曲第3番
・前奏曲ト短調
・パガニーニの主題による狂詩曲
ストラヴィンスキー
(イーゴリ・ストラヴィンスキー)

年:1882〜1971
国:ロシア
 

ロシア
・作風が数年で変わるため「カメレオン作曲家」と例えられた
・1900年代の最大の国際音楽家
・バレエ組曲「春の祭典」
・バレエ組曲「火の鳥」
・バレエ組曲「ベトル−シュカ」
ショスタコーヴィチ
(ドミートリィ・ショスタコーヴィチ)

年:1906〜1975
国:ロシア
 

ロシア
・1900年代最大の交響曲作曲家
・交響曲第5番「人々の墓碑銘」
・弦楽四重奏曲第8番
・オペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」
バルトーク
(ベーラ・バルトーク)

年:1881〜1945
国:ハンガリー
 

ハンガリー
・民族音楽とクラシック音楽に没頭したピアニスト
・バレエ音楽「中国の不思議な役人」
・管弦楽のための曲協奏曲
・オペラ「青ひげ公の城」
ガーシュウィン
(ジョージ・ガーシュウィン)

年:1898〜1937
国:アメリカ
 

アメリカ
・アメリカ的なクラシック音楽を書いた最初の作曲家
・ニューヨークのミュージカル作曲家
・「ラウソディ・イン・ブルー」


No 参考文献 著者 or 発行者 発行
1 一冊でわかるクラシック音楽ガイド 深見悦司 成美堂
2 一冊でわかる楽典 風早健史 成美堂
3 「クラシック鑑賞」事典 江口克彦 PHP研究所
4 楽器ビジュアル図鑑6 長谷川均 (株)ポプラ社
5 クラシック 名曲はじめてガイド 谷口恵浩 (株)ヤマハミュージックメディア
6 古典派から現代の音楽 小村公次 (株)大月書店
7 音楽のしくみとルーツ 小村公次 (株)大月書店